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[留学エッセイ] モーゼル河畔のおもひで

[留学エッセイ] モーゼル河畔のおもひで

二〇一六年夏。あれは忘れもしない筆者が大学院の一年生だった頃の話である。

 私のあまりに拙いドイツ語を見かねた当時の指導教員が「一ヶ月くらいドイツ行ってきなよ」と打診してきた。ちょうどその頃、次年度いっぱいを留学にあてようとちまちま準備を進めていた頃合いだったので、ただでさえ留学資金を稼がなきゃいけない夏にご無体な、と思ったが、もうサマーコース見つけてきたよ〜とキラキラした目で言われては抗えなかった。修士課程の学生なんぞ研究室のボスの前では赤子のようなものだ。なんなら赤子の方がまだ自己主張できる。とにかくそういうわけであれよあれよと二度目のドイツ行きが決まった。ちなみに一度目は学部の同期たちとワイワイたのしく初級授業の延長のように楽しくルール地方の某都市でひと夏を過ごしたのだが、当時二十歳になったばかりの無知蒙昧な大学生に異国の涼しい夏はあまりにも煌めいて見えたものである。まさに地上の楽園。このポジティブイメージがいけなかった。よくよく考えれば本当に初めての渡航時は引率の先生がいたし、先輩方も何人かいて、何より面識ある友人知人たちと助け合いながら和気藹々と充実した時間を過ごしたが、二回目の夏はのっけから最後までぜーんぶ一人旅だった。フランクフルトの空港最寄りホテルに駆け込むときも、翌朝ガラガラとトランクを引きずってライン河畔をくだる電車に乗り込むときも、コブレンツで乗り換えの電車に乗れるはずが普通に遅延したせいでまる一時間も駅周辺で待たされたときも(中途半端に1時間! ドイチェスエッケもローレライも見られなかった)、そして丘の斜面を覆い尽くす葡萄畑の輝きを焼けつけようと目を見開いたときも、私の話に相槌を打ち笑いかけてくれる存在はいなかったのである。そして結果として、十年近い歳月が経った今もなお鮮明な夏の記憶が刻まれるに至った。人は寂寞の中で得た経験をそう簡単に忘れることが出来ない。

オーストリアの修道院とぶどう畑 ベルンカステル-クースの高台から望むモーゼル川 撮影:Juno

 モーゼル川はフランス、ルクセンブルク、ドイツを横断する国際河川で、先述のコブレンツにてライン川に合流する。いわばフランクフルトからトリーアに向かう特急列車はこのモーゼルの流れを遡上するかのように走るわけだが、慣れ親しんだライン河畔とはやや趣の異なる風景が広がっている。この本と同時期にtete-a-teteさんからリリースされたボードゲーム「Prema et Labola しぼり、はたらけ」のパッケージをご覧いただきたいのだが、この開けた明るい丘、葡萄の木の並ぶ風景がモーゼル河畔に特有の煌めきである。ドイツ国内では比較的日照時間が長く、リースリング品種の栽培に適するとされる土地は、きっとベルリンやハンブルクをはじめ、北ドイツを根城とする人間には全く異なった印象を抱かせるだろう。ちなみに私もそんな風景を目の当たりにし、心躍らせながら車窓を覗き込んだものだが、ひとつだけ異議申し立てをしておきたい。散々この地の恵まれた気候を話題にしてきたが、とは言えドイツは北海道よりも緯度が高く基本的には冷帯に属する。私がトリーアでサマースクールに参加したのは八月のことだったが、前触れなく日中の気温が八度を記録した日があった。八度である。お陰で防寒においてはクソの役にも立たない綿シャツを重ね着し、震えながらポルタニグラ行きのバスに乗り込み、H&Mへ駆け込んで裏起毛のフリースを買う羽目になった。今でもH&Mを見るとあの日の凍える寒さを思い出す。聖地へ赴く皆様にはどんな季節であろうと必ず上着を持っていってほしい。

 ちなみにサマースクールは一ヶ月間、大学施設を使ってみっちり語学の学習を行い、週末は近隣へ課外学習(と言う名の観光)に出かけるという設計になっている。今年も実施されたらしいトリーア大学伝統のプログラムである。世界各国の学生や社会人(多くは学生だったが大人もいっぱいいた! 主婦やフリーターもいたし、母国では医師という人もいた)と切磋琢磨しながらドイツ語の勉強に勤しむことになるが、一ヶ月の住まい(寮は完全1人部屋でこれはかなりの好待遇)と学生身分、市内や近郊の交通チケットが手に入ってモーゼル河畔の街並みを満喫できるので、多少現地に行きにくい以外はとてもおすすめである。カリキュラムも発展的で実践的、テキストはオリジナルでドイツ語のみと妥協のない教育を受けられるので飛躍的に語学力を向上させることができるだろう。寮の近所にスーパーもあり利便性が高い。

 このプログラムの課外活動で最初に訪れた街がベルンカステル-クースという街だった。町中が宝石箱のような、テーマパークのような煌びやかさと華やかさに満ち、木組の家と窓際に飾られた花、降り注ぐ太陽に輝く金色のワインの雫、ショーウィンドウのくるみ割り人形、そして開放感溢れる河畔の雄大な自然とすっかりモーゼル河畔の虜となってしまった次第。この街の中心部から小径を上った高台にはトリーア大司教のかつての夏の居城が廃墟と化してなお残存しており、ここから眺めるモーゼル川の壮観さは筆舌に尽くし難い。

 トリーアの街中もまた歴史の息吹を如実に残している。ローマ時代の最北端の皇帝都市は、街の象徴たるポルタ・ニグラをはじめ、ドイツの他の街ではなかなか見ることのできない本格的なローマ遺跡でいっぱいなので、およそ一ヶ月の滞在期間に毎日どこかへ出掛けては知見を深めた。冒頭でソロ留学の寂寞を語っておいてなんだが、ソロ留学の良さはこうして「皇帝浴場に行きたい! ポルタ・ニグラの上階部分に登りたくなってきた! トリーア大聖堂行きたいな〜! コロッセオにも行きたーい!」と暴れ出しそうになっても誰にお伺いを立てる必要もなく、授業後しれっとバスに乗って気軽に世界遺産を訪ねられるところにある。貧乏学生だったのでその後しれっと一人でバーに凸ってワイン……というわけにはさすがにいかなかったが、地元のワインはいくらでも近所のスーパーに並んでいた。麗しきモーゼルのワインはどんなに安価なものでも信じられないくらい美味かった。ワインボトルの転がるドミトリーの出来上がりである。ちなみにドイツはペットボトルや瓶がデポジット料金込みで販売されているので、販売店に持ち込めば容器代を返してもらえる。帰国前のご飯代くらいは稼げるので溜め込んで帰る直前にスーパーに持ち込もう。

 課外授業はベルンカステル-クースのほか、メッス(フランス)にも行ったし、ルクセンブルクにも行った。いずれもモーゼル川の流れる街並みでありながら、それぞれが別の国であるというのが趣深い。だがルクセンブルクのモーゼルはやはり「峡谷」という表現が似合いの山間の穏やかな隘路という風情だったし、さらに上流のメッスはさながら小川のような佇まいで大聖堂の静謐さに彩りを添えていた。母なるモーゼルの醸し出す貫禄はやはりドイツならではという風情がある。日本には決してない(島国なので……)国際河川という独特の煌めき、そしてその両岸に華々しく醸成された伝統のワイン文化を、ぜひ「こもれびシュトラーセ」および「Prema et Labora しぼり、はたらけ」でご体感いただきたい。私の知る限り、この精度であれらの世界が表現されている日本産のフィクションは他にあまりない。

 最後に私がベルンカステル-クースのレストランで習った極上のペアリングをご紹介して筆を置きたい。クリームチーズをライ麦パンに塗り、蜂蜜をかける。グラスが結露しそうなほど冷やしたリースリング種の白ワインと一緒に頂く。世の中の大抵のことがどうでもよくなる多幸感に包まれるだろう。またドイツでよく好まれるニシンの塩漬け、現地ではMatjes Herring(マティエス・ヘリング)というのだが、ビールの付け合わせとしても好まれるが当然白ワインにもよく合う。これをカリカリに焼いたバゲットに乗せたり、クリームチーズやザウアークラウトと一緒にいただいたりしながら、傍らにモーゼルワインを添えると飛ぶ。比喩ではなく飛ぶ。自宅の何でもないテーブルがドイツの裏路地の小料理屋になる。これらは輸入系食料雑貨店でも手に入るので是非一度試してみてほしい。

 お察しの通り一ヶ月の短期留学でドイツ語力もそこそこ鍛えられたが、それ以上に酒の飲み方を大いに学んで帰ることになった。大満足で帰路に着き、ドイツのことがもっと大好きになったところで、せっかくドイツまで来たんだからちょっと寄り道でもしていくかな! と途中下車してマインツの小宿に泊まったわけだが、ここで宿の女主人に「一ヶ月留学してきたの! 勉強頑張ったの!」と幼稚園児のような報告をしたところ、「近所で白ワイン祭りやってるから遊びに行ってきたら? ラインヘッセンのワインもモーゼルに負けないよ」とこの上ない誘惑を受けた。秋の気配漂う川風に吹かれ、グラスを傾ける。夕日がふたつ見える。どこかで誰かがヴァイオリンを弾いている。予定では南ドイツにも足を伸ばすつもりだったのに、気がついたら帰国日になっていた。本当にワインを飲みにドイツに留学してしまったようなものだ。この半年後に住むことになるベルリンはワインより圧倒的にビール文化圏だったので、あれだけワインに満たされた日々は私の生涯で二度とないように思う。夕暮れに滴る金の雫は、今も誰かの渇きを、身も心も含めて潤しているに違いない。(了)